絶世

重複精神障害の闘病と日常と幻想を綴る

世界に憧れた

おはようございます。花奈です。

 

私はかつて原家族全員のケアをしていました。全員の悩みや相談や愚痴を聴き、お互いに対する不満を全て受け、仲裁をとり、家の中の唯一の癒しであろうとした。笑いながら蝕まれていきました。蝕まれていくことにすら気付かなかった。

笑顔は本物。

世界の皆の役に立ち、平和に動く為に少しでも力を貸すことができるのは素晴らしいこと。何もできない、価値のない自分にとって少しでも何かが出来るなら、それはこの上ない役割で、幸せ。

 

他人が幸せになるのなら、喜んでこの身を差し出したい。それが、まだ変わらぬ染み込んだ私の価値観です。

 

最近、所謂"メンヘラ"と呼ばれる方々が「私は蝕まれている!」と発信している姿を見ます。その自覚と発言力、現実がどうであれ素晴らしいものです。

 

この代々受け継がれる機能不全を破壊する為に、あることをきっかけに私は家を出ました。気付けばあんなに頑張った筈なのに、時間も経歴も財力も自立も全て手の隙間から零れ落ちていった。そして身体が蝕まれていきました。

 

笑いながら身体が削れていきました。

それが役割だと思っていました。

この身を捧げて幸せが成立するならば。

私は消える為に生まれて来た。

 

でもそれは他人を幸せにしないのだと、知ってしまいました。

 

だから、私は同じ思いをした伯母を頼りに家を出た。

 

今は、無一文の貧しい生活をしています。障害者となりました。障害があるなんて思ってもいなかったのに、私はどうやら不自由であったようです。

 

機能不全を破壊することは、成功率が不安定なもので。破壊されたまま皆が何も気付かず終わるかもしれない。歪みは直らずに私だけ怨まれて終わるかもしれない(怨まれるくらいなら問題ないのですが、見せかけの幸せを壊してしまった罪悪感はやはりあります)

 

でも私は、愛しているからこそ、この人たちを信じて選んだのです。

何十年かけても最後には希望が見えるかもしれない、でも見えないかも知れない。気付くかもしれない。

この不全に。

 

そして機能した状態で再び顔を会わせることが出来るようになるかもしれない。

その為に私は一度壊しました。

私がいつの間にか一家の機能不全の生贄として要となっていたからです。

私が消えた要塞は、沢山の空き巣に入られて、今もなお崩壊を続けています。

 

 

最初は自分の意見を持って母と向き合いました。母はノンストレスな性格から精神を病むようなところまで、変わりました。そしてこの間根源のような祖父が亡くなりました。

 

次に父と向き合いました。

父は私となかなか向き合ってくれません。いつもくるりと背中を向けられるのです。今はその状態です。

昔とは変わりました。論理的だと信じていたけれど、それは私が受け入れる体勢をとっていたからであって、私が本気で向き合おうとすると、彼は現実から逃げて行きます。暗い影がまた、彼自身の過去にもあることを知っています。

 

私は自分の為に生き、私のことをやることで、家族がこんなに壊れていくなんて知らなかったし驚いている。そんなにも自分の為に生きるって特殊だっただろうか?でもやはり、戸惑う事が多く、自分も自分でやったことがなかったのだと思い知らされます。

 

他人の為に生きる事が私にとってはラクでした。何故なら、そうに育てられたから。その為に育てられたから。存在意義を失って、今までのやり方が全て通じなくなった、生きる術が分からなくなった、進む方法をそもそも教えられていなかった。だから、食べなくなりました。どうに進んだらいいのか知らなかったのです。

 

つくづく思うのは、親は子育ての中で、生きる方法を教えるのですね。どんな動物でも、生き抜く進む方法を教えるのです。最低限の方法を教えたら退散です。そう、最低限です。

 

 

生きることを知らない、「人間の形をした空洞の人形」それが私が自分から拭い去れない感覚です。

 

人によっては透明人間だったり、膜が張ったようだったり、表現の仕方は沢山あるようですね。どれも同じことを言っているのだと分かります。

 

私達、と言っていいならば、私達はこの世にいないかのようですよね。世界に参加していない。参加できない。でも世界を見続けさせられている。

 

人形は笑います。

人形は動きます。

糸で吊られて。

 

糸を切られた私は、あとはゴミ箱にいくだけ。朽ちるのを待つだけ。どうに壊されるのかは分かりません。

 

最後に糸が切れた人形があの見せられ続けた世界に憧れて、自分で糸を張ろうと繋ぎ合わせる虚しい姿を、皆様どうぞご覧下さい。